近代への幕開け 「教育・女性・儒教」

18世紀に入って進展した商品経済化の波は再嫁禁止に集約される儒教秩序を揺るがし、実学者のなかからも批判する声が出る。

朴趾源は「烈女咸陽朴氏伝」で女性が強いられる非人間的抑圧を告発している。

また、儒教道徳を教化する手段として使われたハングルが女性の読者人口の底辺拡大につながり、漢陽には貸本屋まで登場した。

女性に人気のあった代表的作品『沈清伝』『春香伝』『薔花紅蓮伝』などには、身分を超えた愛の成就、威信を失う家長などが儒教道徳教化と織り交ぜて描かれている。

時代の波にうまくのり、経済的に成功した女性の記録も史料に登場し始める。

さらにキリスト教と東学の平等思想が、女性の近代的自我への覚醒を促す。

甲午農民軍の弊政改革案に掲げられた若い寡婦の再婚禁止解除は、甲午の改革で明文化された。

儒教倫理の象徴はついに撤廃され、婚姻年齢も男20歳、女16歳に引き上げられた。

しかし日露戦争に前後して朝鮮支配をイギリス、アメリカ、ロシア帝国に承認させた日本は1910年に「韓国併合」を果たし、禁婚範囲規定などの官製慣習のうえに、旧日本民法に準拠した朝鮮民事令を制定、戸主制度、戸主相続制度、家父長権強化をもって支配政策の根幹とした。

また日本の米だけの作付け強制農業政策は、綿紡織など多くは女性の手になる商業的農業を壊し、1930年まで女性の無業者は増加、実質的に女性の地位は低下した。

近代教育を受けた女性のリードで、三・一独立運動にはさまざまな女性が参加した。

梨花学堂在学中に運動に参加し、16歳で獄死した柳寛順は朝鮮のジャンヌ・ダルクと称され、いまも象徴的存在である。

この歴史的体験は、女性解放を掲げた槿友会結成へと発展、その後の朝鮮内外の女性運動に引き継がれ、民族解放の礎となる。
update:2010年02月24日